花火の掛け声の『たまや』と『かぎや』の違いって何?鍵屋の現在の当主って?

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はじめに

こんにちは、naoです。

私の近所では夏になると、毎年恒例の花火大会が行われます。

家のベランダからも見れますが、間近で見るとその音と迫力に圧倒されます。

本当にすごいですよね。

私はよくおじいちゃんと行っていたのですが、
そこでよく『た〜まや〜』という人や『か〜ぎや〜』という人がいて不思議に思っていました。

子供の時は、それが花火大会の掛け声なんだろうなぁとなんとなく理解していました。

でも、本当の意味ってなんなのか?と不思議に思い、今回調べてみることにしました!
 
 
 

『たまや』と『かぎや』の違いって?

 
 
 
『たまや』と『かぎや』ですが、これは花火師の屋号のことです。

なので、花火を見てこの二つを叫ぶのは、二つの花火屋を偲んで言われています。

ちなみに現在、『かぎや』よりも『たまや』と呼ばれることが多いです。

これはどうしてでしょうか?それは『たまや』の方が圧倒的に支持されていた方です。

「橋の上 玉屋玉屋の声ばかり なぜに鍵屋と いわぬ情なし」と言われる狂歌があるほど、
玉屋の花火は素晴らしかったことからも『たま〜や〜』の掛け声が多かった理由がわかりますよね。

ちなみにこの狂歌は、
『情』に『錠』をかけて、「鍵屋の声がないのも仕方あるまい。錠がないなら、口も開かないよ。」と、
玉屋が火事になった時に鍵屋は何も恩情をかけずに追放したことを言っています。
  
 
 

鍵屋の始まりとは?

 
 
 
もともと、江戸時代、花火屋と言えば『かぎや』でした。
 
かぎやは1659年に初代・弥兵衛が創業した花火屋です。

守り神であるお稲荷さんの狐が『鍵』をくわえていたことから、『かぎや』と呼ばれるようになりました。
 
 
 

玉屋の始まりとは?

 
 
 
『たまや』は、8代目鍵屋の番頭だった清七が暖簾分けによって立ち上げた花火屋です。

名前の由来は、お稲荷さんのもう一方の狐が玉をくわえていたことに由来します。

言うなれば、鍵屋の弟子だったわけです。

それで鍵屋よりも人気になるのはすごいですよね。

ですが、1843年に玉屋からの出火が原因で大火事になり、江戸を追放されてしまします。

結局、玉屋はわずか35年間しか花火を打ち上げることができませんでした。
 
 
 

日本で始めて花火を見た人って?

 
 
 
ちなみに、皆さんは日本で初めて花火を鑑賞した人を知っていますか?
 
それは徳川家康です。

花火は種子島の鉄砲で使用されていた火薬が花火へと発展して作られました。

ですが、花火は火事の原因になりかねないため、町内では使用することが禁止されていました。

それが水冷祭『両国川開き』の時だけ花火を打ち上げることが許されていました。

そこで花火を打ち上げていたのが鍵屋でした。

鍵屋は当時の花火市場を独占していました。

ですが玉屋が暖簾分けをし、両国で開業したことで、
両国橋を挟んで上流を『たまや』が下流を『かぎや』が受け持つことになりました。
 
 
 
 

『たまや』と『かぎや』って今もいるの?

 


 
現在、残っている花火屋は鍵屋のみです。

玉屋は大火事の後、江戸を追放されお家もと出されてしまいました。

鍵屋は現在、15代目まで続いており女性当主が伝統を引き継いでいます。

女性が花火屋を引き継ぐというのも時代の流れを感じますね^^

ちなみにこちらが鍵屋第15代目当主の天野安喜子さんです!

綺麗な女性ですね^^
(詳しい情報はこちら
 
 
 
 

終わりに

 
今回は『かぎや』と『たまや』の違いについて見てきました。

花火師の屋号の名前だったんですね。

玉屋が火事でなくなってしまったことは残念ですね。

今も玉屋が残っていれば、花火業界ももっと盛り上がっていたかもしれませんね^^;

ですが、現在も脈々と続いているかぎやの花火も是非、直接見てみたいですね!

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