目次
はじめに
こんにちは自称・じぇねらりすとのnaoです。
あなたは『うちわ祭り』という祭りを知っていますか?
うちわ祭りは埼玉県熊谷市で行われる
関東最大の祇園祭と呼ばれています。
夏なのでお子さんをお持ちの方は自由研究もある方と思い、
今回はそんな自由研究にも使えるように
子供でもわかりやすくまとめました。
なので、ぜひ参考にしてみてくださいね^^
子供でもわかりやすい!うちわ祭りの由来って?
うちわ祭りがどのような経緯で始まった祭りなのかを
詳しく紹介していきます。
・始まりは『八坂神社のご祭礼』
もともと、うちわ祭りは京都の八坂神社に対する
勧請(かんじょう)「神仏の来臨を願うこと。
簡単に言うと、熊谷にも八坂神社の力を
分けてくださいと願った。」
を感謝したご祭礼が始まりです。
なので、うちわを祀ったりする祭りではないので
勘違いしないでくださいね^^
京都の八坂神社の祇園祭りの始まりは、
平安時代に伝染病が流行し、日本60余州にちなんで
66本の鉾(ほこ)を立てて疫病退散の祈願を
行ったのが始まりとされています。
・年番町(ねんばんちょう)ってなに?
もともとは熊谷以外の街でも同じような祭りが
行われていました。
しかし、江戸時代の寛永3年の4月に町民から
宿場役人に願い出て、祭りを一緒に行うことが
許可されました。
この時代から熊谷の夏祭りの原型が作られました。
それと同時に各町で祭りの主催を当番制にする
仕組みが導入されました。
それが年番町というシステムです。
年番町は1年交代で各町で回されます。
各町から選ばれる役職
・総代
・祭事係
年番町から選ばれる役職
・大総代
それぞれの役職を持つ人が各町と年番町から選ばれます。
ちなみに当時、祭事係は役人と同じ権力を持ち名誉役でした。
なので旧家でないと祭事係には選ばれませんでした。
そのくらい祭りというものが大切にされていたんですね!
また、当時は参勤交代の大小名もしばしば通行止めに
あっていました。
ということが絶対で、それをしないものは切腹ものだった
時代に祭りのために迂回してもらうとは、祭事係の力恐るべしですね^^
・昔はうちわではなく、『赤飯祭り』だった!
今でこそ、うちわ祭りの愛称で言われていますが、
昔はうちわではありませんでした。
もともと、この祭りは疫病退散の願いをこめて行われた祭りです。
なので、当時は町人たちが祭りの当日赤飯を炊いて振舞いました。
なぜなら、赤飯には疫病よけがあるとされていたからです。
しかし、赤飯を作ったことがある人はわかると思うんですが、
手間がかかります。
家族分を作るならまだしも、祭りに参加する人に振る舞うことを
考えると量も半端じゃありません。
江戸から買い入れた渋うちわを客に振舞いました。
すると、たちまち評判になり別の店でもうちわの販売が広まって、
のちに『うちわ祭り』と呼ばれるようになりました。
うちわ祭りの見どころって?
ところでうちわ祭りがどんな感じで行われているか
知っていますか?
実際に見たことがない方もいると思うので、
どんな感じの祭りなのか動画があるので
気になった方は見てみてください^^
終わりに
今回は熊谷で行われるうちわ祭りについて見てきました。
京都の八坂神社に勧請して作られた神社は全国にも
数多くあり、それぞれ疫病退散を願った祭りが
執り行われているんですね。
夏休みの自由研究にもこのネタは意外にいいかもしれませんね^^
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